会津若松機関区の歴史の要旨


1899(M32)年7月15日  - 岩越鉄道が「若松機関庫」として開設された。
1904(M37)年1月20日  - 岩越鉄道の本線は会津若松駅から喜多方まで伸ばされた。喜多方駅で転車台と給水塔は備え付けられた。
1906(M39)年11月1日  - 岩越鉄道は国有化された。
1917(T6)年5月21日   - 旧九州鉄道筑豊本線で「若松」既に存在にあったから若松機関庫は「会津若松機関庫」に改称された。
1926(T15)年10月15日 - 新しい「会津線」は会津若松から会津坂下まで開通された。会津坂下駅で機関車庫があった。
1927(S2)年11月1日   - 新しい「野岩羽線」は会津線での西若松駅から上三寄まで開通された。
1928(S3)年11月20日  - 会津線は会津坂下から会津柳津まで伸ばされた、機関車庫は会津柳津に移転された。
1932(S7)年12月23日  - 野岩羽線は上三寄駅から湯野上まで伸ばされた、桑原駅に給水塔は設えられた。
1932(S7)年のいつか    - 会津若松で扇形庫は完成された、庫内で15線、庫外で6つ線の収容線があった。
1934(S9)年11月1日   - 会津若松駅と会津柳津駅間でガソリン気動車の運転は始められた。
1934(S9)年12月27日  - 野岩羽線は湯野上駅から会津田島まで伸ばされた。機関車庫が会津柳津から会津田島に移転された、会津田島で転車台が設えられた。
1936(S11)年9月11日  - 会津若松機関庫は「会津若松機関区」に改称された。
1938(S13)年8月18日  - 新しい「日中線」は磐越西線での喜多方駅から熱塩まで開通された。熱塩駅で給水塔及び転車台が設えられた。転車台が数年後で削除された。
1941(S16)年10月28日 - 会津線は会津柳津駅から会津宮下まで伸ばされた、会津宮下で機関車庫及び転車台が設えられた。
1941(S16)年のいつか   - 会津若松駅でガントリークレーン及び170tの石炭塔が設えられた。
1942(S17)年11月1日  - 新しい「只見線」は上越線での小出駅から大白川まで開通された。
1942(S17)年以前     - 野岩羽線は会津線と合併した。新しい線は「会津線」に名付けられた。
1947(S22)年12月12日 - 会津線は会津田島駅から荒海まで伸ばされた、荒海駅で転車台が設えられた。
1949(S24)年1月27日  - 会津若松駅で無タンクの単線の砂施設は設えられた。1952年でタンクは付け加えられた。
1953(S28)年11月8日  - 会津線は荒海駅から会津滝ノ原まで伸ばされた。転車台は荒海駅から除された、会津滝ノ原駅に転車台及び給水塔及び石炭荷台は設えられた。
1956(S31)年11月20日 - 会津線は会津宮下駅から会津川口まで伸ばされた、会津川口駅に転車台及び給水塔及び石炭荷台は設えられた。
1959(S34)年4月30日  - 会津若松機関区は「会津若松管理所」に改称された。
1960(S35)年6月1日   - 会津若松管理所は「磐越西線管理所」と「会津線管理所」に分割された。
1963(S38)年8月20日  - 会津線は会津川口駅から只見まで伸ばされた。
1963(S38)年11月6日  - 会津若松駅でDCのために6つ給油スタンドがあるの地下のディーゼル燃料タンクが設えられた。
1964(S39)年4月1日   - 日中線で会津加納駅と熱塩駅間で貨物の勤めは廃止された。
1965(S40)年10月1日  - DCの使用で「あいづ」号準急行列車は(仙台〜福島〜会津若松〜会津田島)導入された。会津若松駅でみどりの窓口は開かれた。
1967(S42)年1月9日   - 磐越西線の郡山駅と喜多方駅間の路線部の電化に備えて会津若松駅で新しいEL検査施設は建てられた。
1967(S42)年6月6日   - 磐越西線管理所は会津線管理所と合併して「会津若松運転区」は設えられた。
1967(S42)年10月    - この時から会津若松駅と会津滝ノ原駅間で走る旅客列車の全てはDCで運転された。
1968(S43)年10月1日  - 「あいづ」号準急行列車は「いなわしろ」号に改称されたと三部編成になった。一番目の編成は会津田島駅から、二番目は只見駅から、三番目は喜多方駅から会津若松駅で組み合わせられたと融合列車は仙台駅へ走った。帰りに逆は本当であった。
1970(S45)年9月1日   - 蒸気発生装置を満たすために会津若松駅で二つの地下の燃料タンクは設えられた。
1971(S46)年8月29日  - 只見線は大白川駅から会津線での只見駅まで伸ばされて上越線と磐越西線間の接続を設えられた。小出駅と西若松駅間の線路は「只見線」に改称された。会津若松駅と会津滝ノ原駅間の線路は「会津線」の名前を守った。
1972(S47)年10月2日  - この時から只見線で走る旅客列車の全てはDCで運転された。
1972(S47)年11月1日  - 会津線の会津田島駅と会津滝ノ原駅間の路線部で貨物の勤めは廃止された。
1974(S49)年10月30日 - 会津若松運転区からのSLの運転は止んだ。会津若松機関区にDLが割り当てられていない、代わりにDLが郡山または東新潟から配備された。
1975(S50)年3月6日   - 新しいDL検査施設は建てられた。
1980(S55)年10月1日  - 只見線で大白川駅と小出駅間で貨物の勤めは廃止された。
1980(S55)年12月1日  - 大川ダムの建設に備えて会津線で上三寄駅と湯野上駅間で新しい進路は開通された。
1981(S56)年1月26日  - 会津若松で新しいオフィスビルは完成された。
1981(S56)年9月18日  - 日中線の廃止の申請は承認された。
1982(S57)年3月31日  - EL庫は18mで延長された。
1982(S57)年8月1日   - 只見線で西若松駅と只見駅間で貨物の勤めは廃止された。
1982(S57)年11月15日 - 「いなわしろ」号急行列車は廃止された。
1983(S58)年11月1日  - 日中線の全線で貨物の勤めは廃止された。
1984(S59)年4月1日   - 日中線は廃線された、旅客の勤めは会津乗合自動車に引き継がれた。
1986(S61)年5月30日  - 会津若松駅の旧貨車修繕工房はトラック修繕工房に変えた。
1986(S61)年11月1日  - 会津若松駅で手荷物の取り扱いは打ち切られた。
1987(S62)年4月1日   - 国鉄民営化:会津線(会津若松〜会津滝ノ原)でと只見線(会津若松〜小出)での旅客列車はJR東日本に、会津線(会津若松〜会津田島)でと只見線(会津若松〜西若松)での貨物列車はJRFに運転された。
1987(S62)年7月16日  - JR東の会津線の会津若松駅と会津高原駅(旧会津滝ノ原駅)間の旅客勤めは第三セクター方式の「会津鉄道」に引き継がれた。
1989(H1)年3月11日   - 会津若松運転区は「会津若松運輸区」に改称された。
1996(H8)年3月16日   - 会津若松駅の貨物駅は廃止された、入換は止んだ。
1999(H11)年4月1日   - JRFは会津線で(西若松〜会津田島)と只見線で(会津若松〜西若松)貨物勤めを廃止した。
2001(H13)年4月     - 敦賀城の再建に沿って会津若松駅の駅舎も城様式に再建された。
2011(H23)年3月11日  - 東北地方太平洋沖地震は会津若松駅の扇形庫と転車台を傷めて両方は使えないになった。


会津線のインデクスへ帰る
通信